なぜ私は親鸞会をやめたのか
6.最後に
私にとって、長年続けてきた親鸞会を辞めることは、居心地のよかった場所を離れ、今まで築いてきた人間関係もなくし(弱くなり)、大変苦しい選択ではありますが、しかし、それよりも、限られた時間やお金、体力や精神力を親鸞会の活動の為につぎ込むことに魅力を感じなくなってしまいました。
上記のような気持ちから、これ以上、親鸞会で聴聞を続け、親鸞会の会員であり続けることに意味を見出せなくなりました。
私はこれ以上、「親鸞会と運命をともにしよう」という気持ちはありません。
これが私の正直な気持ちです。
以上が、「なぜ私が親鸞会をやめたのか」に対する答えです。
「親鸞会の教義」に対する疑問を棚上げにし、自分の人生を実験台にしてまで、親鸞会の活動に10年以上もの歳月をかけて、専念してきましたので、その結果、得られた今の自分の気持ちに、後悔などはまったくありません。
これは、やめた者にしか分からないのかも知れませんが、不思議な安堵感と、開放感に満ち足りています。
これから、親鸞会が10年後、20年後、どうなってゆくのか、静かに見守り、自分の選択が正しかったのかどうか、今後、講師部員や、幹部の中から、本当に信心決定する人が現れてくるのかどうか、見届けたいと思います。
※このサイトを読んだ『親鸞学徒の1人』と称する方から、『「なぜ私は親鸞会をやめたのか」を読んで』と題されたサイトが公開されました。私の言ったことが誤解されていると思われる部分が少なくなく、新たに『続・なぜ私は親鸞会をやめたのか』と題するサイトを公開致しました。是非、ご覧下さい。
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1.なぜ私は、親鸞会に入会しようと思ったのか
2.なぜ、すぐに親鸞会をやめなかったのか
3.親鸞会の教義は、本当に大宇宙の真理か
4.このまま聴聞を続けて信心決定できるのか
5.なぜ、親鸞会に居続けるのか
6.最後に